タンザニア14日目

ここまでタンザニアの北部、片田舎までくると、全く英語が通用しません。スワヒリ語イノセントな世界です。近くの村の食堂で夕飯を食べようとしても、店探し、オーダー、支払いから全て一筋縄ではいかないのです。だって彼ら1〜10までも英語で言えないレベルなんだから。こんな堅苦しい環境はたぶん100パーセントフランス語圏だった西アフリカの辺境以来じゃないかしらん。

今日したことは特に無くって、ずっと暇してました。ネットもないからずっと本に齧りついてました。レミゼなげえ。

ただ一つ驚いたことがあって、それは滞在中のスネークパークから幹線道路を挟んだ真正面にある土産屋さんに3年前に訪れたことがあると気づいたことです。

3年前に僕はセレンゲティを訪れています。四駆でキリマンジャロから移動してました。その帰りだったかな、キリマンジャロへの帰路の道中にその土産屋に寄っているのです。外観では全く思い出さなかったのですが、店内に入った瞬間にはっと3年前の映像が脳裏に蘇ってきました。ここで買ったシマウマのクッションカバーは今でも大事に使ってます。そしてつまりはこの道を3年前に通ったということ。偶然そんなところに泊まるなんてなんか感慨深いですね。

f:id:baobab-no-ki:20170713222123j:plain上げる画像撮ってない(撮れない)から3年前の土産の前のおっちゃんを。苦しまぎれに

 

明日もまた暇します。

タンザニア13日目

今日は朝からお別れ。

 

f:id:baobab-no-ki:20170713220342p:plainダカールでの思い出の一枚。マークはねずみ色、トビーは赤色のTシャツ

 

 

早朝7時にマークとトビーがトラックを離れていきました。朝早い出立だからなのか、昨夜十分に送別会をしたからか、朝彼らを見送りに出たのは僕ただ一人。その他は皆無。

本来彼らはナイロビで降りる予定であったのですが、セレンゲティのゲームサファリには行かないということで、一足先にここでツアーを離れ、自らの足でケニアに向かうそうです。そこで出来た数日の余裕の間に二人でケニア山に登って、エチオピアまで飛び、1ヶ月かけてそこを周るのだとか。でももうツアーには復帰しないみたい。

僕もサファリには行かないので、彼らとナイロビまで行けば合理的ではあるのですが、僕は別に急ぐ必要もなくて、ツアー後の小旅行の日程はだいぶと余裕があるのでそに問題はないし、第一僕はこのトラックでナイロビまで行って、最後まで成し遂げることが大きな目的であるので、ここでツアーを降りるという選択肢はありません。

マークとトビーはツアーの中で僕に一番近いツアー内最年少の年代でした。マークは一つ上、トビーは同い年しかも生まれた日も4日しか違いがありません。僕のが4日遅いので、かろうじてこの中で最年少ということになるわけなのです。なんか同じ世代という感覚はあまり持たなかったけれど。

僕がナイロビでツアーを離れたら一段と年齢層が高くなるかな。ゆってクリスとか23歳でまだ若いのいるけど。

 

ツアー最後の給食当番が今日の昼飯で終えて、その後には大勢が四駆に乗り込み2泊3日のサファリツアーに出かけていきました。残ったのは僕の他にドウとローレンだけ。

することも何もないし、まあ暇は暇になりますね。暇は嫌いじゃあない。