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今、19歳を末にした僕が思うこと、考えていること。

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 こうして日本を離れ、日本人が自分しかいないところで長期暮らしていると、日本にいるときよりも深く考えに耽ることができるような気がする。それは日本語で話しをする相手が誰もいないがために、自分と対話する時間が必然に多くなるがためだと思う。

そこで三月に二十歳を迎えるその前に、今、僕がどのような思考をしているのか、我が哲学というとそれほどの身分にないので誤りになるのであるが、マイナーな類似品だと思ってもらえれば良い、それらの集まりをここに書き示しておくことにする。

これは全てで四章から成るものとなる。ここでの章の題は僕の頭の中で重要な部分を占める事柄を選んだ。

 

 

第一章  生死

 僕は自らを比較的ポジティブ、オプティミスティックな性格だと自己分析している。これまでの人生においてなにかに深く悩んだという記憶は皆無であるし、日頃も悩みというものをあまり持たない、いつも結局はどうにかなるものさ、ならないものはそうさせておけばいい、と思って生きている。このブログのタイトル通り人生は道楽だというのが僕の信条なのである。これは特にそう意識してのことではなく、そういう性格、自然に成長の過程の中そうなったのであろうと思う。
しかしこれまでの人生の中で死んで全てを終わらせてしまいたいと思ったことがなかったか?それは何度かあったかと思う。でもこれといった何かのきっかけがあってのことではなくて、ただ単に死んだほうが生きるより楽だと思ったからだ。これはさっき人生は道楽だなんて言ったことと少し矛盾しているのかもしれない。でもホントのことだから仕方がない。
 ただしこれを実行に移すとなると別の話で、これまで風呂に入って手首を切ろうとしたこともなければ、木に縄を括りつけて椅子に乗っかったこともない。死にたいとは思っても自殺したいと思ったことはないといことであって、自殺したいと心に抱いたことはただの一度もない。そう断言できる。
 人に聞いたことがないから確かではないけれど他の大多数の人も一度や二度死にたいと思ったことがあるのではないかという気もする。直感である。話は少し横道に逸れるのであるが、僕の中で直感は大変に重要な部分を占めている。これまで生きてきた中で色んなことを直感で決めてきた節が多々ある。例えば、この旅だってそうだ。本で知って、なんか自分でもイケそうなもんだな、よしっやってみるか、といった具合にトントン拍子でここまで来てしまっている。結局は深く考えず何事も判断していく。だから失敗したって後悔することはない。だって自分の直感を信じて決めたことなのだから。悩んで長考した後にそれが失敗したり挫けてしまったりしてその分長いこと尾を引く、なんてことになることはないし、きっぱりと忘れまた前を向けるのでこれは良い性分だと自認している。そしてこうした考えで事にあたっていくと自然、困難に出会う回数も少なく済む気がする。直感である。
 話を元に戻す。こうしてアフリカを旅して現地の人たちを見ていると感じることがある。それは人々が日々の生活、一日々々を一所懸命にそれだけをみてがむしゃらに生きているということ。こうした人々の頭の中に自らの手で命を絶ったり、死んで楽になってしまいたいと思うことなんてただの一度もなくって、自殺という概念すら頭にないのかもしれない、とつくづく思い知らされる。なんでなのか考えてみると答えはあっさりと出た。こっちの人は生きることが死ぬよりもすごくすごく難しくて、また逆に言えばちょっと手を抜けば簡単にくたばってしまうということだ。それが日本ではどうか?僕は生きることが死ぬよりも簡単だとまでは言わないまでも、死ぬことが難しくて自殺以外にほっといて死んでしまうことは今の日本においてはできないものと思う。金がなければ生活保護費を国から支給されるし、赤ん坊でさえも赤ちゃんポストなるもののおかげで里親に回され生きながらえることができる。だから、中々日本では死にたくても死なせてくれなくて生きるのが楽だから、逆に生きることに辛くなって人は自ら命を絶つという選択をとるのではなかろうか。
 いつから日本はこんなことになってしまったのであろう?この旅の中で読んだ夏目漱石の作品、「三四郎」の主人公の性格を語る文中に以下の一説がある。「三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。」彼は東京帝国大学の一年生、今で言うところの東京大学つまり日本のトップで学問をしている青年なわけなのであるが、そんな秀才でさえも死について考えたことのないというところに僕の意識は引っかかった。現代の日本人は必ず学校で生死についての授業を受けたりして否が応でも死というものを考えさせられるものである。しかしこの当時はそうではなかった。この作品の時代は日英同盟がでてくることから推測するに二十世紀初頭、明治三十五年頃だと思われる。この頃の日本人の多くは心に臥薪嘗胆の題句を掲げ、重税や差別に苦しみながらも列強に負けてたまるかと一所懸命に毎日を生きれるだけ生きていた。そうまるで今日のアフリカのようにその日その日だけを見て。今の日本はどうか?無論、である。
しかし日本においても明治人までは日々生きることだけを考えて生きていたのではないだろうか?そして僕もそのように一日々々だけを見て精一杯に生きていきたい。
 全動物の中で人だけが持っている選択肢、それは自分で自分の命を奪ってしまうことと新しい命を造らないということだ。だから僕は自殺して人生から逃げてしまう人のことを非難も否定もしない。それは自分の中にある権利、手持ちの中の一枚のカードを切ったまでなのだから。その代わり同意をすることもない。それは自殺して死後の世界にいってしまえば随分と楽なことだろう。生きることにはそれなりの困難や苦労がいつもつき纏っているのだから。しかし僕はこの先どれだけ暗いものが僕の人生に墜ちてきたとしても生きることをやめないと思う。それは社会に出た経験もない青二才だからそう楽観視していられるのだと言われるかもしれない。確かに借金で追い詰められたこともなければ、働いて身を立てている位にもいない、ただの一学生の意見である。学生なんてものは何かを学ぶという大義名分を得て存在できるものであって、もし学んでいなければNEET(無業者)同然の生産性のない人間だ。でも、それでも僕はそう断言できる。だって人生は最後寿命を持って死ぬ時になってやっとその答え、自分の存在意義がわかるものなのだと思っているから。最後の答え合わせを待たずして途中で生きることをやめることほど勿体の無いことはないはずだ。
 これはイマイチ僕もまだ掴めてないのでとても抽象的な表現になるのであるが、僕が考える死とは何かの話である。一言で言ってしまえば人は生まれたと同時ににその死ぬ日付、つまり寿命を持って世に出てくると思っている。だから例えば、こうしてアフリカといういつ死んでも可怪しいことはない環境の場所から無事に世界一の安全地帯である日本に帰ってきて、間もなく自転車に乗って事故を起こしポックリと死んでしまうとする。そうなれば今言ったことの証明になるのではあるまいかと思ったりもする。それこそが寿命なのである。生まれた時に死ぬ時は決まっている。いつなんの前触れもなく命が果ててしまっても何ら不思議な事ではない。そしてこれは畏れるべきことでは決してない。これが死に対する僕の答えだ。
それに対して人はなぜ生きるのか、僕は生の問いに関してその解答は持ち合わせていない。ただ生きるのだ。しばしば後ろをふり向きながらも。
 
 
 第二章  親と子、人と人
 人と人との関係性は尊敬と軽蔑のバランスの中で成り立っているものだと思う。簡易に言い換えるならば、人の長所と短所を見ながらそのどちらともを受け入れることで初めて付き合いというものができるのだと思う。人には必ず長所と短所がある。どちらもない、またどちらかしかないなんて人には今まで遭ったためしがない。探せばどこかに誇れることがあって、どこかに褒められないことがある。これは人によって感じ方は様々である。短所だと思っていたことが長所と捉えられることがあるということだ。また最後まで見つからない長所と短所が隠れているということもある。
 僕の場合の人と接する中で軽蔑する点の一つとしては人前で他人の悪口を言う人。これはけっこうな割合でいるのであるが、僕は決して言わない。おそらくそれはストレスの発散になるのであろう。ただ人の悪いところを人前で吹いてるような人はまた別の人に悪口を言われているものだと思う。そんな滑稽で愚なことはないであろう。僕はいつだったかそれに気がついて、自然言わないようになった。それでも気にせずに言うというのであればそれはもっと気が知れない人だ。それとは逆に尊敬するポイントを一つ挙げるとするならば、生粋の正直者であろう。人に対しても、また自らに対しても誠実な人だ。それを自然にできる人は損をすることはあっても、それに勝る信頼を得られるだろう。僕は九割九分九厘バレることはないのなら損をしたくないので、嘘をついてしまうさもしい人間だ。だからそういう人に会うと心の裡でそっと恐縮してしまう。
 この尊敬の度合いが軽蔑の部分を凌駕しているならば、例えば僕の場合、いくら人の悪口を言っている人であろうと、それにも勝る敬うべきナニカを有していることに気づいたならば、そこに好意が生まれて、もっと親しくなりたい、深い関係を築きたいと思えるのだ。
 本題に入る。人は必ず二人の親をもってして生まれる。自分の親をどんな人にするかなんて選ぶことはできないし、生まれる場所も選べない。生まれた時すでに両親がいないなんて場合もあるだろう。全てが巡り合わせ、縁なのである。それは全ての人との出会いに対しても同様であるように。僕の両親は僕が小学校高学年の時に離婚している。そして片親となりものごころついてからの時間の大半をその環境の中過ごしてきている。このことが僕の成長やその後の人生に少なからず影響を及ぼしたように思う。具体的には思いつかないのであるが、良くも悪くもそれはあるだろう。
 親子、特に母親との関係には多種多様な形があると思う。例えば、反抗期なんてものはなくて、ずっと温和で凪のような関係が続く親子、時には暴言を吐いて親を敵のように思いながらもある時にそれが偉大で敬うべき存在であると気づき心地よい距離感を置くようになる親子、始まった反抗期をそのまま引きずって遂には連絡も取らないようになる親子、と似たり寄ったりはあれど十組十色、様々な関係があるように思うのだ。その中で僕の場合はどうか、僕にも反抗期はあった。しかし今ではその終わりを告げている。僕にとっての反抗期は高校2年生頃までであったと記憶している。それまでは母親とはそれなりに鬱陶しいものであったし、できるだけ関わって欲しくない存在であった。でも今は違う、自分というものを産んでくれたことに恩義を感じているし、その義理はしっかりと最後まで返さなければならぬものであると考えている。ただし親密な関係でいたいか、と問われるとそれは否定せざるを得ない。冒頭で述べた人と人との関係性の中に例外はなく、親であろうとそのモノサシで測るということになる。そうして測ってみた時に、僕はもう母のことを尊敬することができないとわかった。それは目につく悪いところが良いところを上回ったからだ。僕が優に立ち母が劣になったということになる。僕が反抗期でなくなった動機としてはこのことに無意識にも気づいたことにあるのかもしれない。なのでこの先、現状よりももっと距離をおくことになるだろう。それが僕の場合の今、そして近来の親子関係なんだと思う。しかしこんなものは時間とともに変化するものだ。三十年後には縁が切れてるかもしれないし、はたまた同居しているかもしれない。そんなこと考えたところで答えはない。WHO  KNOWS?である。
 僕の中にある父という存在は親であることよりは他人に近いものである。それは僕の記憶の大部分に父のいない時間が占めているからであろう。その関係はやはり間に一枚壁が隔たったようなものである気がする。でもこの関係性で僕は満足しているし、この先もこの距離感のままで良いと思う。
 先に片親となりその環境で育つ中で良い影響と悪いものがあったと言ったのであるが、正直言って僕は片親、母子家庭の中で成長期を過ごしたことによって結果的に良かったこと、ポジティブな影響の方が遥かに大きいのではないかと思っている。高校に入った時に母は実家に帰り、僕は姉と二人で一軒家に暮らしていた。元々束縛の厳しくない親だったのではあるが、さらに自由で何にも縛られない環境で過ごすことができたので、それが僕の性分に合って良かったのだ。このことは幸運なことだったとすら思っている。
 人は全ての生命活動の根幹にあるものはいつも子孫を残していくことだ。しかし人の中には一部、子どもを産まないで一生を終える者がいる。それは自らの意思のために。僕はそれを理解することができる。僕は結婚願望はあるが、子どもが欲しいかとなると色々と考えさせられることになる。これは前章で述べたように、人は子どもを作らないという権利があるということに関することだ。周りの人はせめて二人は必要だとか三人は欲しいとかよく言っているが、そこに人の子を一人育てるということは大変な責任が生じて、今の日本の現状の教育環境で経済的にも精神的にも多大な犠牲を払わなければならないという考えがあって言ってるようにはどうも思えない。もちろんそれだけの価値を、無限大の可能性を子どもという存在が有しているということは承知の上だ。僕がこのことについて深く重く考えすぎてると思われるかもしれない。ただそこに考えすぎるという際限なんてないのではないだろうか?なぜならそれは自分とは異なる新しい子どもの人生のことを考えることなのだから。だから僕は所帯を持つことはあっても子どもを持つことはないのかもしれない。正直にいって、将来自分が親という身分になるのかどうかは全く予期できない。
 
 
 第三章  どうやって生きていくのか
 「利己主義を実現するために利他主義に徹する」これは僕の生きていく上でのテーゼである。
こんな話を聞いたことがある。ヒトは猿から進化する過程で二足歩行をするようになったわけであるが、その対価として女性の産道は狭くなり、その結果赤ん坊は十月十日で小さい成りのうちに生まれざるえなくなった。そう聞かされた時、確かに他の哺乳類の生まれて間もない子どもはすでに立派な成りをしているのに比べて、人の子というものは完全な未熟児で生まれてきているな、とたいへんに関心し納得した。つまりなにが言いたいのかというと、人は誰かに助けてもらうことを前提にして生まれてくるのだということだ。他の動物、例えば犬であるとすると、何から何まで自立してはないにしろ、生後まもなく歩くことができるようになるし、親離れに1年もかからないであろう。それに比べヒトの子はどうか?立てるようになるだけで1年以上もかかってその前に首がすわるようになるだけでも数ヶ月かかる。それに母親一人で子育てをすることもできない。必ず周りの支えを要するものだ。繰り返すが、人は誰かに助けてもらうことを前提にして生きれるのであって、また一人でできることには限りがある。
 そこで僕はこの命題に辿り着いた。「利己主義を実現するために利他主義に徹する」これを言い換えるならば、自分を助けるためには人のために働くということだ。人への親切を常に心がける。その借りを絶えず作り、配り続ける。その借りを返してもらおうと考えてはいけない。また返してくれなさそうな人ほどに意識づいて配慮を持って接していく。一見無駄にみえたとしても、そこに無駄はないのだと信じる。しかしそうした心懸けで運動することは大変に難しいことだ。分かっていても徹底できない。ただもしこれを無意識に極自然にできたならばその人は大成するであろう。自分よりも他人を第一に考えることが回り回って自分のためになる。僕はそう信じている。
またそういったことが金を稼ぐ上、つまり働くということにおいても通用するのではあるまいか?人が生きていく上での必須事項、衣食住を得るためには金が不可欠なものであろう。(少なくともこの資本主義の消費社会が続く間は)そして金を得るには働くことが一般だ。僕は未だどういったことを職にするのか全く想像ができていない。自らが起業するという野心はないから間違いなくナニカに就いて働くことになるのであろう。また特殊な作家や作詞家といった一人のイマジネーションで金を稼ぐという職業に就くことはない(できない)、となると上司や同僚を伴う仕事をすることになるだろうから、人との関わりが全てということになる。そういったときにこの命題は大変に役立つと思うのだ。しかしこれは金を稼ぐことだけでなく、広く応用の効く考えなのだと思っている。
 今日の世界の中で日本は最長平均寿命国の首位を走っているのだから、僕もその国の一員である以上百歳を超える寿命を持っている可能性は大いに有り得るわけで、そうなった時のことも考えておかねばならない。
今は多くの老人が年金で生活している。でもあと二、三十年もしたらこの制度は限界がきて崩壊するのではないかと僕は踏んでいる。もしもそうなった場合、僕たちは働いて年金を否が応でも納めることと同時に年金が消えてなくなった場合への老後の準備も必要となってくる。ネガティブな問題だ。でもいつかはそうなるものだ思っているから、この制度が始まったことでどこかの世代がこの損な役回りを受け持たねばならないわけで、それがちょうど僕たちから下の世代の話になるのかもしれない。それもさだめなのであろう。でも僕は働けるまで退職年齢に関係なく働きたいし、生産性を持った年寄りになりたい。またそうでなければならなくなるのかもしれない。
 これからの日本はどうなるのだろう?そのような不安はだれにでもあると思う。でも僕は思うのだけれど周りに目を配って地に足をつけていくことで明日は開けていくではないか。そんな国家単位でものをみるよりも小さな範囲で事にあたっていくそれが根本にある方が人は長持ちするのものだと思う。
 
 
 
 第四章 過去past 現在present そして未来and future
 こんなアフリカを見知らぬ外国人に囲まれながら不慣れな拙い英語を使い旅に参加しているのだから僕を積極的な行動力のある大胆な男なのだろうと判断されるかもしれない。しかしそれは全くの否、どちらかと言えば自分ははっきりと消極に属する者と断言することができる。日々の暮らしにあまり変化を求めないし、あまりアグレッシブに様々なことにチャレンジしていくことも好みではない。独りの時間も多少は確保して精神を保養したい。そんな受け身の僕がなぜこのような消極性からはほど遠い大勢の見知らぬ外国人と人との関わりが全てのような旅をしようと決意したのか。
この旅の始まる前、新たな挑戦と題していくつか理由をこのブログに挙げたように記憶しているが、正直なところ未だはっきりした答えを自分の中でも見いだせていない。第一章で述べた通り、そもそもは直感でこの旅の参加を決めたのである。
アフリカに興味があったのか?それは多少あったであろう。英語を話せるようになりたかったか?そりゃ話せるにこしたことはないだろう。はたまた自分探しの旅に出たかったのか?そんなものどこに行ったところでみつかることはない。
今考えついた中で一番しっくりさせるのは二十歳という節目をなにか特別のもので飾りつけたかったのではないかということ。この旅はイニシエーションなのではないかという結論。イニシエーション、つまり通過儀礼。この旅を無事に成し遂げ、日本に帰国できたならば十代にさっぱり区切りをつけ、すんなり颯爽と前に進むことができるのではあるまいか。これが一番大きな動機になるのかもしれない。こう考えると強くそんな気がする。
 この間友人に「成長とは二十歳までで止まってしまうもの。身体的にも精神的にも。」と言ったことがある。それに対して彼は「自分は成長していきたい」と言った。おそらくこの記事を彼は読むこととなると思うので、この場でもう少し詳しくその本意を解説させてもらいたい。
人は生まれた時にどんなことでも吸収できる限りのないスポンジのような状態で生まれてくる。この時は全ての人間が平等に全くの同じスタートラインに立っているのだ。しかしここから生まれた場所の環境や人との関わりによって大きく変わっていくのだろう。僕は人間の脳を鉄のようなものだと思っている。生まれでた時の赤ん坊の脳みそは、竈から出したばかりで赤い灼熱の光りを放ち、カンカンに熱くなっている鉄そのものであって、それは少しの衝撃で容易に変形してしまう。例えば3歳の時に階段から転げ落ちて大きなたんこぶを作ってしまったとする。それは記憶に残らなくてもその人の性格や感性を形成していく一つの大きなファクターになるであろう。それが年を取るにつれて様々な経験や痛手を積んでいく中で最初熱かった鉄は次第に冷えて固まっていき、固有のただ一つしか存在しえない鉄の形となって性格や感性は完成されたものとなっていく。その期限が二十歳あたりまでなのではないかということだ。
僕は去年の春に身長を測った時にその一年前の僕と比べると1cm伸びていた。でも、もうこれ以上は伸びないようだ。そしてこの身体的成長と精神的成長は深く関係しているのだと感じる。だから身体の成長とともに心の成長も止まる、ここを線引にして性格や感性は変わらなくなるとそう思えるのだ。ただし、これは僕の諦めのはやい弱腰な考え方なので、もしも、彼が変わりたい、成長したいと思っていて、本気で願い努力するのであれば変化という成長(冷え固まってきた自分の鉄の形の変えること)ができるのかもしれない。まだその鉄は完全には冷めきってない若人なのだから。何も遅くはない。でも遅すぎることはある。
そしてもう一つ成長に似たものがある。それは例えば、様々な人と関わっていく中で多様な考え方を目にして学ぶ、多言語を習って身につける、カメラ撮影の技術を学ぶ、本を読むことで新たな知識を得る、といったもの。これらは全て自らに後からつけ足していくもの、プラスしていくものなのであろう。確かにこれもまた成長と呼ぶことができる。でもそれは正確に簡潔にいうと「吸収」という言葉になるのだと思う。この「吸収」ということは「学習」という言葉にも置き換えられる。「学習」とは生涯を通して行うことのできる無期限の成長方法だ。まあそれでも、これから三十歳、四十歳と年をとっていく中で時の流れはみるみる加速していって、それは目に見えない速さとなり、あっという間に21世紀末へとなってしまう。その時間の経過とともに自らの考え方は凝り固まっていって、学んでも学んでも思うように身につかない、吸収できないという頭にはなっていくであろう。だから学ぶなら若い内の方が、そのスポンジがまだ十分に水を吸っていないときの方が間違いなく大きなアドヴァンテージがあると思う。
 人には三大欲求というものがある。「物欲、性欲、知欲」である。性欲までは誰もが知った一般なものであるが、三つ目の「知欲」とはなにか。これは僕の造語であるのだが、もっと知りたい、知識を得たいという欲求のことを指す。先に書いた「吸収」、「学習」というものはこの「知欲」、また別の言い方をするならば好奇心、興味が動機となっていることだ。欲というものは別になくたって生きていくことに差し支えはない。「学習」というものもまたその例外ではなくて、生命活動の必須事項ではない。でもそれはきっと人生を豊かに彩るものであると僕は信ずる。ただどの欲望であっても制御できなければ、反対に人生を貶めることにもなりかねないのであるが。
 しばしば人は幸せになるために生まれてきて、そのために生きるのだ、という言葉を聞くことがあるのだけれど、僕はこれに対して驕ったものの見方だなと思う。幸せになろうと努力することは美しく健気なことだ。ただそれを目的にして生きる人ほどその理想のために苦悩し挫折してしまうものだ。もっと、もっと小さなことが生きる糧であって良いんじゃないかと思う。だから何度も言っているように、僕は一日々々をこなしていくような意識で生きていくという選択を取りたい。
 
 
最後に
十代が終わろうとしている今、周りの人にも感謝を表したいのであるが、最大の感謝はこれまでの自分、過去に贈りたいと思う。あなた達がいたから今の僕は存在しているし、これからも生きていける。ありがとう。ただただ命を真っ当していくよ
 
                                                          
 完