タンザニア4日目

ダルエスサラームで強盗に遭う

遂にきちゃいました。この時が。いままで半年以上このツアーでアフリカを走ってきて、あと1か月を切った、ここにきての初トラブル。今までスリもなければ、盗難もない、このまま何事もなく帰れるかなと思い始めたところで、まあやっちゃいましたね。

 

今日はダルエスサラーム一日フリーデイで、僕は3年前に訪れたティンガティンガの工房を再訪するために朝から一人、ダル郊外にあるミカディビーチを発って、その工房のある都心を目指しました。その道中での出来事です。

湾の間を絶え間なく行き来する10円フェリーに乗り込んで、一気に都心に入り込みます。そこからトゥクトゥクに乗り込んでティンガティンガのところまで行こうと思っていたのですが、ここでまず一つ計画が崩れて、またそれが始まりでした。トゥクトゥクの運転手に行き先を伝えるとこのような小さな車体ではその工房のある中心部に行けないと言われて、でもタクシーだと高くつくしなあ、と思いながらもトボトボ歩いてました。すると、一人の黒人に英語で声をかけられて事情を説明すると、同じくバイクやトゥクトゥクでは大きな車道を走ることはできないと言って、タクシーを手配してやるよと言いました。

それで値段の交渉をしているとなんとか許容範囲の中で収まって、その男が電話で呼んだ車に乗り込んで進み始めました。そしてその交渉の男もなぜか乗って一緒に行くことに。まあこの時点で旅慣れた、または用心深い人はクロだと判断するのでしょうが、まさかこの後に強盗に遭うなんて思いもしなかった驕った僕は少々気にはなりながらも数分後には目的の地に着いて思い出に浸ることになるだろうと想像して期待してました。

交渉した男は僕と一緒に後部座席に乗り、とても陽気でよくしゃべります。一方運転手の男は寡黙でだんまりを決めこんでいて対照的な二人でした。10分ほどするともう一人の見知らぬ男が乗り込んできて、人気のないところで停車。ここでもうアウト。

後部座席で挟まれているため出ていくことも不可能で、持ち物全てを検査されて、金品を持ち出されます。滑稽だったのが、彼らはなぜか自分のナイフを持ってなくて、かばんの中に入っていた自分の十徳ナイフで脅されたこと。んな馬鹿な状況があるかっ。その後クレカからATMで金を引き出すためにパスワードを教え、銀行にいったがいつかの一週間レポートで書いた通り僕のクレカはキャッシングができないものだったので、なにも引き出されることなくそのあとに放免。1時間足らずの出来事でした。

彼らは全てのものをとっていったわけでなくiPhoneと財布と腕時計とイヤーフォンだけ。他のかばんやキンドルは持っていきませんでした。それに僕が帰るために少々の現金を返してきました。ここで思うのはお前ら悪い商売してんならちゃんと悪に徹しろよってこと。そっちのがよっぽど質悪いと思う。まあちゃんと受け取って、その金で宿場まで帰りましたけど笑。

よくわかんないところで降ろされた僕はまず警察に調書をもらいに行ったのですが、パスポートを持っていなかったために後日来るように言われたので、仕方なくまずはミカディビーチに戻ってそこの近くの警察支所にツアーリーダーのジェフと行って、待つこと4時間でなんとか調書をもらいました。明日はザンジバルに行くことになってるので、どうしても今日中に欲しかったんですよね。これで保険でiPhoneが買い戻せます。ただここでiPhoneをなくしたのは実際大きな問題で、これがないと不便でこの後の旅にも大いに差し支えます。それに短距離レンズを壊した後の写真はほとんどiPhoneに頼っていたのでこのブログにも中々の影響を及ぼすことになります。まあ身体の方は数発殴られたくらいなもんで済んだからいっか。それが全てですからね。

無事に済んだことだから言えることではありますが、これは大いに貴重な経験をしたなと思ってます。そしてその加害者たちに対する怒りは皆無とは言えませんが、限りなくゼロに近いです。それはある種そういった人々を生み出しているのは僕たちであると思っているからで、とても間接的ではありますが、日本人であったり、そういった先進国、裕福な国が存在しているから、その影である一日1ドル以下で暮らし、苦しまねばならないという世界があって、そこから一定数の悪が生まれるということは万事自然な成り行きなのです。

だから日本という富んだ国に生まれた僕がこのような被害に遭うのはある種の必然であって、宿命であって、免れられないことであると本気で思うのです。これは運命で、天の匙によって現代に日本に生まれた人間とアフリカの貧国に生まれた人間という生まれながらにして与えられた不合理なギャップにして、このような小事件が様々に形が違えど起こることは当たり前だと、しっかりと受け止めなければならないものだと本気で思うのです。