タンザニア13日目
今日は朝からお別れ。
↑ダカールでの思い出の一枚。マークはねずみ色、トビーは赤色のTシャツ
早朝7時にマークとトビーがトラックを離れていきました。朝早い出立だからなのか、昨夜十分に送別会をしたからか、朝彼らを見送りに出たのは僕ただ一人。その他は皆無。
本来彼らはナイロビで降りる予定であったのですが、セレンゲティのゲームサファリには行かないということで、一足先にここでツアーを離れ、自らの足でケニアに向かうそうです。そこで出来た数日の余裕の間に二人でケニア山に登って、エチオピアまで飛び、1ヶ月かけてそこを周るのだとか。でももうツアーには復帰しないみたい。
僕もサファリには行かないので、彼らとナイロビまで行けば合理的ではあるのですが、僕は別に急ぐ必要もなくて、ツアー後の小旅行の日程はだいぶと余裕があるのでそに問題はないし、第一僕はこのトラックでナイロビまで行って、最後まで成し遂げることが大きな目的であるので、ここでツアーを降りるという選択肢はありません。
マークとトビーはツアーの中で僕に一番近いツアー内最年少の年代でした。マークは一つ上、トビーは同い年しかも生まれた日も4日しか違いがありません。僕のが4日遅いので、かろうじてこの中で最年少ということになるわけなのです。なんか同じ世代という感覚はあまり持たなかったけれど。
僕がナイロビでツアーを離れたら一段と年齢層が高くなるかな。ゆってクリスとか23歳でまだ若いのいるけど。
ツアー最後の給食当番が今日の昼飯で終えて、その後には大勢が四駆に乗り込み2泊3日のサファリツアーに出かけていきました。残ったのは僕の他にドウとローレンだけ。
することも何もないし、まあ暇は暇になりますね。暇は嫌いじゃあない。
タンザニア12日目
この日は山間部特有の冷たい小雨の中一日がスタート。
僕たちが次に向かうはアルーシャというタンザニア北部で最大の街。
そしてここは数多あるタンザニアの観光地の中の大エース、セレンゲティ国立公園とンゴロンゴロ保全地域の一大拠点でもあり、そのため数多く、またバラエティ豊かな外国人を見かけます。あっこのひと日本人かなってのも何回かあったしね。
僕たちはここに4泊滞在して、セレンゲティ、ンゴロンゴロのサファリに出るオプショナルツアーがあります。しかし僕はそれに行きません。だってもう3年前に一度行ってるんだから。それと現実問題として金の不足があります。このオプショナルツアーはべらぼうに高くって、$650〜といった具合なのです。
対して今の僕の現金としてのドル紙幣の所持額は今日10ドルだけシリングに両替してきたためにきっかり500ドルということになりました。ここからウガンダ・ルワンダ小旅行費350とケニア、ウガンダ、ルワンダの査証を兼ねたイーストアフリカビザの申請料が100、ジェフとウォルターへのチップ40を差し引いていくと10ドルしかあとに残りません。いやあ使いましたねえ。モロッコでは5500ドルもあったのに、今となってはその11分の1に。いやあ使った、ホント使ったわあ。
タンザニアの北部にくるとよくマサイ族の姿を見かけます。タンザニアとケニアで遊牧をしている彼らにとってそこに国境なんてものはなく、勝手気ままに行き来しているそうです。なので、ここら一帯は彼らのホームグラウンドといったところ。
マサイ族の人の見分けはとても簡単で、原色のチェック柄をした一枚布を纏っていれば、即ちそれがマサイです。
↑キャンプ場にてマサイ族とフリスビーをするマーク
でもマサイの人々はタンザニアのどこに行ってもみかけます。ダルの大都会の中やザンジバルにもいたしね。それで彼らをよく見かけるのは門の前での警備をしているところ。まあイニシエーションとしてライオンとタイマン張って勝負するような戦闘部族ですから適役ではあるのでしょう。片手に木の杖、片手にスマホを持って電話してるところなんて見飽きるほど見てきました。
マサイだって都市に流入するし、現代人としてスマホをいじるのです。
今日からアルーシャから西に30Kmほど外れたところにあるスネークパークのキャンプ場に4泊することになります。することはたぶんなんにもない。みんなは明日から泊りがけでゲームサファリに出ていきます。