シエラレオネ5日目 最終日*
今日は移動日でリベリアとの国境30Km手前の村でテントを張らせてもらうこととなりました。普通なら広いところを探してそこでブッシュキャンプをするのですが、今日の道は常軌を逸したものでした。
まずリベリアという国にこのツアーは言ったことがありません。事の発端はツアーメンバーの一人の発案から満場一致で決まったことなのですが、アフリカを何十周もしているドライバーのスティーブですら行ったことのないのですからそのルートは未知数だと聞かされていました。
↑狭さ伝わりますかね
なによりも道が狭くて舗装なんて当たり前のようにされてない
今日出発する前にグーグルマップを見ているとこの距離ならリベリアに今日中に入って、なんなら首都までたどり着くんじゃないと思ってました。ところが、フタを開けてみると散々で、踏んだり蹴ったりの乱暴道路でした。まず道が狭すぎる。上画の写真をご覧になてみればわかるかと思うのですが、トラックがちょうど良く通れるくらいの道幅で、対向車が来ると一旦止まり、どちらかが譲歩してなんとか切り抜けます。
↑この手ブレが揺れを物語っていますでしょう
↑川から大きな穴に水が流れ込んでいます
そして一番の問題が上画の凸凹ロード。ジャングルを無理矢理切り拓いたようなところなので、雨が降った後に車が通り乾くとそこに大きな大きな固い轍ができます。こいつのせいでなんど吹っ飛ばされそうになったか…いや本当に大げさじゃなくて不注意の時にこの轍に乗り上げると普通に体が浮いて、捕まってないとそのまま外に放り出されそうになります。もっとも時期が雨季の場合粘土質の赤土にタイヤがとられ皆で押す羽目になるようなことを想像するとまだマシなの かもしれません。とにかくこのような環境下の移動でしたので、ゆっくりとしか進めずにジャングルのど真ん中で停車。そこには辺境辺鄙の農村がありました。おそらく外国人を見たこともない、その存在の認知すら疑うほどの人が暮らす厳密には村とは呼べないほどに小さな小さな集落です。電気が通っていないので、電化製品がなく、もちろん車もない、いわゆる文明が感じ得ない正に未開の地。アジア人と西洋人の差異すらなく、彼らの目にはひとまとめに白人に映るのでしょう。
こんな場所、ある種世界の果て、がこの時代にあることに驚きとある種の無力感を感じ得ずにはいられません。
The world is too huge for me to find out everything!
一週間レポート その7
この一週間は喧騒としていたマリ、そして特に何にも目にするトコロのなかったギニアを抜けてきた僕にとってシエラレオネでは天国のような時間を過ごすことができました。それはみんなも同感のようでもっと滞在したかったといっている人がいるほどです。かくゆう僕もここにはもう一度来たいと思ってしまうほどいい国でした。まずシエラレオネ人が温かくて親切でフレンドリーな人たちなんですよね。それにここの公用語はイギリスの植民地だった影響で英語。長かったフランス語圏からようやく抜け出して現地の人と話せるようになったのも良かったところです。
この先のリベリアでも英語が使えますが、その次のコートジボワールではまたフランス語、そしてその次がガーナでここでまた英語となります。
そんなシエラレオネやリベリア、皆さんも一度その名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?これらの国々は3年前にエボラが猛威を振るい、数万人に及ぶ 死者を出した大流行地です。しかし今となってはとっくに過ぎ去った過去の出来事というのがこの5日間シエラレオネで過ごしてみてのエボラ出血熱に対する僕の所見です。ただし国境や県境の検問では全員が体温を計られたり、たくさんのエボラ啓発ポスターが目に写りました。でも総じてゆうとやっぱりエボラ出血熱はもう終息したんだなという実感を強く抱きました。
↑エボラ出血熱 啓発ポスター
シエラレオネ一ヶ月くらいいても良かったなあ。もし次来るとしたら絶対にダウンタウンに行こう!と、思うのは本心なものの100%来ることはないでしょう笑。