カメルーン15日目最終日

西アフリカ踏破!!これまでを見返してみる

今日は昼の12時半まで首都ヤウンデにて自由行動、次の都会がいつになるかわからないので文明欲を十分に満たしておきます。そして予定通り12時30分ちょっきしに出発、と思いきやさっそく都市部にはつきものである交通渋滞に巻き込まれ1時間半かかっても町から出られないほどの徒歩未満スピード。誰も交通ルールを守らないし、クラクションは鳴りっぱなしだしでもうカオスなんです。まあもう慣れましたけど、この状況には。ただ進まないので風が通らず暑いのには困った。

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その町を抜け出してからは快調も快調で、完璧なロードコンディションに検問の引っかかりもなくあっという間に約200Kmを走りきり、辺りが暗くなり始めたころにボーダー手前でブッシュキャンプ。明日の朝にはガボンに入ることでしょう。

長かったカメルーン編も今日で終わり。まさか2週間超も滞在することになるとは思いもよりませんでしたが、そのほとんどは休稿となりましたね。5日間のバメンダ引きこもりと3日間のカメルーン山登山のせいなんでまあ致し方ないです。というか、2月という月はその三分の一は真っ白な記事が埋めることとなりました。3月は通常営業に戻りたいです。

さてさてこのカメルーンという国はこの旅における一つのターニングポイントとなります。カメルーンを終える、それは同時に西アフリカの終わりを意味します。昨日のレポートでも言いましたが、ここまで実に13ものアフリカの国を訪れてまいりましたが、その総移動距離はジブラルタルからここまでで、16,707Km、ユーラシア大陸の西の果てから東の果てまでがだいたいこのくらいの距離になるのではないでしょうか。また西アフリカが終わったときには西アフリカ総集篇として、ランキング形式で全ての国を振り返っていくつもりでありました。でもその作業にはそれなりの時間がかかるとわかったので、ここは妥協して印象深かった国の紹介を3つほどしてそれでおわっちゃいます笑。

 

ここまでの旅で何が一番記憶の中で鮮やかに残ってるのか考えてみると、真っ先に出てくるのはやはりベナンでのブードゥー教の儀式(踊り)でしょうか。あれはインパクトの塊でした。儀式なのにエンターテインメント性が存分に含まれていて、その激しく、リズミカルなダンスは見る人全ての心情を興奮せしめて魅了します。これは儀式というよりもある種、村の中の娯楽のようなもののように思います。本当にだれもかれも熱狂してその空間を思い返すだけでも楽しくなってきます。

いつか動画も撮ってあるので、ユーチューブにアカウントでもつくってここにアップしようかしらん。正直ベナンという国自体はあまり記憶に残ってなくて、お隣トーゴと混同して、記憶がごちゃ混ぜなのですが、このブードゥー教の記憶はなかなか消えないことでしょう。

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次は年越しを迎えたシエラレオネの首都フリータウンにあるトケオビーチというところ。

ここもなかなかの名所でした。日本ではシエラレオネと聞くとエボラ大流行の地というネガティブな印象しかないものですが、僕が思うにここは欧州人にとって日本人の感覚でいうところのグアム、ハワイにあたる国であると思います。ロングヴァケーションを過ごすに快適な南国の休息地です。まあアフリカには他にもセーシェル諸島やザンジバル島などもっとヨーロッパ人にはメジャーなところがあるのですが、ここは人が多すぎず、英語が通じて、綺麗なビーチがあってと快適なところでした。ちなみに僕はハワイやグアムまでまるで日本人に会いに行ってるような人の気があまり知れません。なんで海外にわざわざパスポート作ってまでいってんのに周りに日本人がいるようなところで同じ空気を吸わなきゃなんないのか?物好きなものだなといつも思います。でもよく考えてみるとハワイやグアムへ行くのが当たり前で、きっと僕のようにアフリカなんかに行くほうがよっぽど偏屈な人ですね笑。でも本当にシエラレオネという国は雰囲気がきに行ったので来訪の可能性はあります。ただ遠いっ!!それが大きなネック。

思い返してみれば、ここでイタリアン夫妻と別れたんですね。年始の頃なんでもう随分と前です。(もう四半年が過ぎたのか、おそろしい)あの騒がしい人たちいまごろなにしているのだろう。

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これは最近のことなので新鮮な記憶であって当たり前なのですが、カメルーン山登山もおそらくこの旅の中でのハイライトの一つになることでしょう。この4,000m級の山が僕にとっての実質的に初めての登山でした。そして明らかに筋力、体力の不足で頂上には這うようにして辿り着いたわけですが、山登りのその楽しみ方や準備を積んで望めばもっと満喫できるという実感を掴めたことも大きかったですね。自分の足で雲を追い抜いて上から見下ろす、これけっこうな達成感と充実感を得られるのです。でもこのカメルーン山、きつい印象、思い出の方がその旅の大部分を占めています。だって山道が未舗装で、上り下りの傾斜はひどく、ごつごつした足場を歩かなくちゃならないから。でもその辛さのおかげもあって記憶には強く残っていくんだと思います。

これがきっかけで山登りの楽しさに気づけたので、帰国したら阿蘇へ観光がてら登山に行きたいと強く思う今日このごろです。よし、この次の旅は熊本の火の国だ。

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せっかくなので、動物のことも書いておくと、ギニア再訪で野生のチンパンジーを見れたことも貴重な体験でしたね。ここには京大の研究施設がありました。そういえばここで日本人にあってからというもの一度も日本人に会ってないですね。

ここで野生のチンパンジーというものを生で見て、神聖なものというか、人間に近いのだけれど、その人間になる一線を越えてない無垢なるものというイメージが残っています。でも知能が高いが故に、ナイジェリアでみた被保護のチンパンジーはただ餌を与えられ、あとは大半を寝て過ごすというサイクルを続けているせいで、完全に堕落して生気を感じられない、野生のものとは全く別の生物のように感じましたね。まあとにかくこの野生のチンパンジーというものを見れたということはとても貴重な経験となりました。

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今回の記事では字数がべらぼうに膨れ上がってしまいそうなので、ここまでに留めておきますが、西アフリカでは実にいろいろなところを目にし、体験してきました。日本ではなかなかポピュラーでなく、実際に観光地と呼べるところの数は南アフリカ、東アフリカに比べ雲泥の差なのですが、その手付かずの(まあ近頃は中国がいっぱい手をつけてますが)黒人だらけの国々が一種の大きなテーマパークのように思います。ここから先、ナミビアナミブ砂漠から始まってケニア大自然までずっと観光大国が続いて、もっと明るい国々へと移り変わっていくかと思います。同時に出費もひどくなりますが…

でもこの西アフリカの雰囲気は個人的にみて、とてもエネルギッシュで活気が溢れ、毎日がカオスの新鮮でおもしろいものでした。おそらく10年、20年も経てばこの国々がまったく異なったものとなる可能性があるわけで、その大変革期の最中に長い時間をかけて、アフリカの中での後進国を渡ってきたことは大変に有意義で価値あるものだと思います。

明日のガボン入国を機に中央アフリカに突入することになります。ここは西アフリカにも増すけっこう鬼門と睨んでいます。特にアンゴラさんとかね。

カメルーン14日目*

f:id:baobab-no-ki:20170313205417j:plainめちゃめちゃ雰囲気のあるキャンプファイヤー場がありました。

昨日の夕刻、カメルーンの首都に着いてからまずしたこと。それはSIMカードの入手です。ナイジェリアのボーダーからカメルーンの北部まで実に2週間インターネットのないところにいたことになります。この旅最長ですね。

まあナイジェリアのボーダーは森の中だったから圏外はわかるとして、問題はカメルーンです。カメルーン2日目で少し触れましたが、SIMカードを買っても電話しかできなくてインターネットは利用できない状態がずっと続いていました。そしてその時点ではその理由が政治的なものだとしかわからず、理解できませんでした。

今ここヤウンデにきて、そのワケがやっとわかりました。それは確かにポリティカルなものでした。

カメルーンはベルギーと同じバイリンガル国家です。それも英語とフランス語の2つであって、公用語としてでなくローカル語(日常会話で使うということ)としても話されています。でも国民全員がどちらも話せるというわけでなく、北部では英語、南部ではフランス語とはっきり区分けされています。それは植民地政策のカメルーンにおける名残でしょう。そしてこれが今回のインターネット不可問題の根源であったのです。

カメルーンの中ではフランス語話者がマジョリティであって、英語を話す人は全体の3割ほどらしく完全にマイノリティなのです。そんなわけで政治、経済、エンターテイメント、様々な分野がフランス語を中心にして回っていて、英語しか話せない人は蚊帳の外という構図になるわけです。そうなってくると英語住民の中にはフラストレーションが溜まっていき、自立心が芽生えてくることは自然、その不穏な動きを察した政府がその動きを抑えるためインターネット使用の差し押さえという意地悪なことを2ヶ月ほど前から北部で展開したというわけです。どこかの国の宗教問題に発した独立運動と政府の対応を思わせますね。

そんなインターネットが、もちろん政治の中心地であるここヤウンデで使えないなんてことはないわけで、ついて間もなくテントをたてるより前に町にでてsimカードを探しに出たというわけです。そしてフランス語で格闘しながらも久方のインターネット環境をゲット!

せっかくアフリカに行ってんだからネットなんかに没頭しないで自然を満喫しろよ、と思われるかもしれませんが、まあ逆にそういう環境だからこそ必要だったりします。僕は日本にいる時は別にネットがなくても生きていけます。まあ便利だから使いますけどね。

この話を長々としちゃいましたがここまでは昨日のことです笑。今日は町に出て両替をして(ここでも金のことで一難あったけど省)、その金でマラリアの予防薬を購入。モロッコで買った前までのものは今週をもって切れるのです。今度買ったのも同じクロロキンの予防薬、でも前回は週一摂取のタイプだったのですが、今回は毎日服用型です。

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でもこれ長期服用だと副作用がおきて(視野がだんだん狭くなってくるとか)、場合によっては重体になるとかなんとかっていう情報を得て内心めちゃ怯えてます。本当は薬ってあんまり好みじゃないんですよね。できるだけ自然治癒能力に頼りたいんです。風邪になってもポカリでなんとか治したいタチなので笑、でもさすがにマラリアとなるとわけが違うから飲んでるだけなのです。南アフリカでは違う種類のもの(おそらくメフロキン)を買って、その後を乗り切ろうって考えてる今日このごろです。

f:id:baobab-no-ki:20170313210030j:plain今日は2月に誕生日を迎えた人の一斉誕生日会でした。帽子のつけ方間違えてお面みたいになってるインド人ピジョーシf:id:baobab-no-ki:20170313205741j:plain

明日は午後にここを発って、ガボンとのボーダーギリギリまで進みブッシュキャンプを張ってそのまたあくる日に国境アタックです。

 

一週間レポート  その⑮   アフリカ一周のその半分を終えてみて

このツアーの期間は29週、そして今回のレポートは15週目。ということは半分過ぎたことになります。早くもといっていいのか、やっとというべきなのか。思い返してみれば、ジブラルタル海峡から始まり、ここカメルーンまで計13ヶ国も訪れてきたんですよね。この数もまた今回の旅で訪れる国数のちょうど半分なのです。そうしたわけでここまでの総括を今日のレポートではやっていこうと思ってます。お金の話と英語についてを中心としていきます。

まずはマネーについて、僕は現金として約5,500USドルを日本で現金化して、トラックに持ち込みました。それで今の残りは2,300ドルほど。そうもう3,000以上はすでに使ってしまってます。それって不味いんじゃ、と思われるかもしれませんが、大丈夫、なぜならその内訳の半分約1,600ドルはビザの取得にかかったもの、それとローカルペイメント(LP)と呼ばれるキャンプ費用や食費をまとめて払ったものが680ドルあります。つまり雑費(観光費や個人の食費などなど)にかかったのは1,000ドルだけになるというわけです。それでも今思い返してみると、節制をしっかり最初からしていればもう200ドルあまりは余分に残しておけたとも思ってるのですが…本来西アフリカというのは観光業というものが盛んなところではないのです。なのであまり日本でポピュラーな国はここにありません。つまり基本あまり観光に金は使わないわけです。でもその分物価が日本並みに高い国がほとんどなのでまあある程度は致し方ない部分もあるのですが。まあ本来がそんな計画性を持ってやっていく性質じゃないので、本当に金欠になって困らないと節約はできない気もします笑

ここから先はナミビア南アフリカボツワナと次々に観光大国がやってきます。そうした国でおそらく着々とお金を落としていくでしょう。その予算は今計算してみると、2,300からビザ費とLP2ndを引いたものです。ビザはそれこそ観光国ばかりなのでその費用はお手頃になって、総額300ドルで済むと踏んでいます。それと南アフリカで払う二度目のLPは625ドル。なのでその予算は約1,400ドルとなります。少ない…足りない…やっぱここまで使いすぎましたね。本当だったらクレカを使って、ATMから金を引き出すつもりでいました。そのためにカード3枚も作りましたし。でも未成年は所定の手続きがないとできないことに気づいたのは出国の数日前、全く日本という国は手続きだとか規律だとかに固執しすぎてる!そうやって自分で自分の首を苦しめてんだから救いようがない。それに二十歳で成人だというのもどうかしてんじゃない?世界の国は18歳で成人に移行しつつあるのに保守的だからか何かしらないが変えようとしない。選挙権下げるならなんでも18でできるようにしろよっ!だからどんどん取り残されてくんだよっ!、

とわめき散らかしてはいますが、全て僕の詰めの甘さからくる失敗です笑。でもほんとに日本という国は政府はもちろん国民も頭が凝り固まっていて損ばかりしてますよね。変わっていくことが自然で当たり前なことなのに。

そしてもう一つこの旅で自分の英語能力はどう変わったか。正直言うとあまり伸びた実感はありません。相も変わらずほとんど何言ってるかわからないし、会話内容をゲスる(予測)こともほとんどできてないです。話す方もまったくだめ。でもこれは成り行きにまかせます。旅が終わる頃にはなるようになってるでしょう!(思い込むことこれ大事)

それともうひとつ英語が上達しないのは語彙が圧倒的に不足しているからだと思います。言語は単語力。これは100%そうで、例え文脈や文法なんかわかってなくても相手に伝えられたらそれが正解なのです。でも単語はどうしても覚えていないと相手に伝えることすらできないし、聞き取ることももちろんできないわけで、これは最重要の必須項目なのです。僕は未だにターゲットの1900を暗記できていません。ホントはこの旅の前には丸々頭にいれておくつもりであったのですが、持ち前の先送り精神でまた明日、また今度と思って遂にはなんにもなしでここまで来てしまった次第です笑。そして今必死にターゲットのアプリで片っ端から覚えていって、今800前後をうろちょろしてます。言語を本気で身につけようとしている方、実体験として確実に言えるのは「言語は“記憶力“と“実践”(経験)」だということです。単語を覚えておくなんてことは誰であっても、どこであっても、なんどきであってもできることです。それを実践練習の前にいくつ頭に入っているかでその後の実践での吸収効率に大きく差がでてきます。

まあ実践で覚えていく単語もあるので、やっぱり一番の上達方法は生の英語での会話にあると思ってます。逆に言えばそれしかないと断言できますね。言語はある程度スパルタに自分を苦しい環境に置かないと身につけることは厳しいのです。少なくとも僕は絶対に日本にいたってどうにもならない。おそらく語学留学なんかでも同じ。

さてこれからもう半分(3ヶ月半)が終わった後にはどうなっているのでしょう?おそらくこんな絶好の機会は中々なくて、しかも若いうちの方が吸収することも容易なのだから何か手にしてから帰国したいところではありますね。

まあ全体としては楽しんで色んなことに出会えた3ヶ月半であったと思ってます。そして今のところには日本に帰りたいとは微塵も思ってません。なぜか日本の味にも飢えないという。ただ日本より住み良い国は他にないということは承知済みなのですが、感覚では2、3年外国にいても恋しくならないと思います。京都に一人暮らしに出た時もそうおもいましたが、まあホームシックという病にかからない体質なんですね。

ではでは