セネガル6日目

負の世界遺産 ゴレ島

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首都ダカールから船でわずか30分のところには、なにか南国のハワイか沖縄にでもワープしたかのようないやに奇麗なビーチを持つ世界遺産の島がそこにありました。ゴレ島は周囲1Kmにも満たないとても小さな島です。今日は自由行動ということで、数名でこの島の観光に出ました。

f:id:baobab-no-ki:20161215063229j:plain船代は1000ほどで、観光は半数、もう半数は地元の人が乗船していました。

ここゴレ島は1978年にユネスコ世界遺産に登録されています。しかしその肩書は負の遺産なのです。

なにがあったのか説明しますと、18世紀イギリスは新大陸(今のアメリカ大陸)のプランテーションにて人手の不足に困っていました。そこで新たな働き手としてフランスから奴隷を輸入していたのです。当時西洋人にとって奴隷というのは人ではなく物として扱われ、それは田畑を耕す牛や食用に潰す鶏と同じ家畜の中の一つに過ぎませんでした。f:id:baobab-no-ki:20161215064254j:plain農場にて労働を強いられる奴隷の絵

この島はその奴隷たちを船で新大陸に向け運び出すための一時的な奴隷集積所だったのです。フランス領西アフリカの各地から集めてきた原住民たちを一度ここの島に集め、狭い場所に収容し、一気に船に詰め込んで、システマティックに無情に新大陸に送り込んでいきました。f:id:baobab-no-ki:20161215063611j:plainこの扉から船に乗り込んでいったという

そうした中継の島はアフリカ各地にあり(僕が2年前に訪れたタンザニアザンジバル島も同様でした)、そのようにして送られた何千万にも及ぶ奴隷たちが現在のアメリカの黒人の先祖となるのです。

このような過程からこの島は負の文化遺産として世界遺産に認定されたというわけです。

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しかし実際にこの島を訪れてみると、その悲しい過去など一切の禍根を残していないように感じるほどのノドカでゆったりとした風が島を流れていました。それは太平洋戦争の末期、沖縄戦での悲惨な過去を持ちながらも現在ではその面影もなく(実際に深く注視するとまだその傷はあるのかもしれないが、表面的に見て)、来たる人々を癒やす常夏の島、沖縄に通ずるようなモノがあるように思いました。

この島は世界遺産に登録されているから、という以前にそれがなくとも来訪の価値のある魅力のある島でした。

 

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